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福岡地方裁判所 昭和51年(ワ)239号 判決

原告

前原健

原告

前原早苗

右法定代理人親権者父

前原健

原告ら訴訟代理人

荒木邦一

外二名

被告

田中幸一

右訴訟代理人

倉増三雄

主文

一  被告は原告前原健に対し金七三四万九二二二円及び内金六三三万三三三三円に対する〈中略〉年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告前原早苗に対し金一二四九万八四四四円及び内金九六六万六六六七円に対する〈中略〉年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一〈省略〉

二〈証拠〉によれば、美代子の本件死亡に至る経緯と被告の同女に対する措置等は次のとおりであつたことが認められ(る)。

1  妊娠から入院前まで

美代子は、昭和一二年一〇月九日生れで、原告健と昭和三八年二月結婚した。同女は、妊娠の兆候をみて、昭和四六年一〇月二日、被告の医院を訪れてその診察を受けた。その際、被告に対し、一七歳の頃に膠原病と診断されたことがあり、以来体質的に膠原病になり易い旨の既往症があると告げた。被告による右初診時の所見は、最終月経日昭和四六年八月三日、妊娠二か月、出産予定日昭和四七年五月一一日(最終月経の初日から二八〇日を妊娠持続期間とすると、出産予定日は昭和四七年五月九日となる。尚、ネーゲレの概算法によれば同月一〇日となる。)、血圧九八〜五六ミリメートル、梅毒血清反応陰性であつたが、悪阻が重症であつた。その為に、右悪阻の治療を約一か月続けた。その後、同女は、一か月に一回位の割合で、被告の定期妊娠検診を受けていた。美代子は、昭和四七年三月一〇日に出血を見て被告の診察を受けたところ、被告は、前置胎盤疑症と診断し、止血剤としてアドナAC一七を二〇ミリリットル静脈注射をし、トランサミン三カプセル及びアドナ三錠を経口投与をした。これで、同女の右疑症は治癒した。同月一八日、同女が軽度の膀胱炎及び妊娠性浮腫になつた為、被告は、エデクリル(利尿剤)一錠とウロビオ(オキシテトラサイクリン配合剤)四カプセルを経口投与したところ、同月二四日には妊娠性浮腫は治癒したものの、同年四月八日には再び軽度の妊娠性浮腫が生じ、膀胱炎の症状も続いていた為、エデクリル一錠とウロビオ四カプセルを三日分投薬した。

2  入院から出産まで

(一)  美代子は、昭和四七年四月一三日午前五時ころ出血し、同日午前の外来診察時間中に被告の診察を受けたところ、被告から妊娠一〇か月初期で胎児に異常は認められないが、前期破水(分娩開始以前に破水をおこすものをいう。)であると診断され、同日午後零時ころ被告医院に入院した。被告の内診によれば、同女は陣痛の発来はないが、すでに破水していたけれども羊水漏出はわずかであり、しかも比較的上位の破水と認められた。被告は、胎児が三六週を経過したばかりの未熟児であつた為、一日でも長く胎児を子宮内に留める方策を選択し、破水、早産防止及び出血を止めるべく、新プロゲデポー(黄体ホルモンー流早産防止剤)七五ミリグラムの筋肉注射とアドナAC一七(止血剤)0.5パーセント二〇ミリリットルの静脈注射をし、ゲスタノン(黄体ホルモンー流早産防止剤)三錠及びトランサミン(止血剤)三カプセルを三日分投薬するとともに、同日午後二時ころ羊水の流出を押さえる為に同女の腔内にハーフメトロ(子宮腔内又は腔内などに挿入するゴム製器具)を挿入してコルボイリーゼ法を施した。同日午後六時ころの同女の体温は36.7度で、その後も少量づつの羊水の流出が認められた。

(二)  同月一四日朝の美代子の体温は36.5度であつた。被告は、同女に新プロゲデポー一〇ミリグラムの筋肉注射をした。同日午後二時ころ同女が38.8度の発熱を起こしたので、被告は、同女に、解熱剤としてアミノバールを皮下注射し、細菌感染の予防措置としてビブラマイシン(抗生物質、テトラサイクリン系)一カプセル(一〇〇ミリグラム)を経口投与した。

(三)  同月一五日午前一時五分ころ、美代子の体温は三九度の高熱となつた。被告は、同女に、解熱剤としてアミノバールを皮下注射した。同日朝には、同女の体温が三七度に下がつた。被告は、ベストン五〇(ビタミンB1誘導体製剤)を五〇ミリグラム静脈注射をし、新プロゲデポー一〇ミリグラムの筋肉注射をするとともに、ビタミンE六錠を三日分投薬した。被告は、同女の前日の発熱状態から細菌感染の一応の疑いを持ち、同日午前一一時前記ハーフメトロを抜去して、それに付着する悪露を単染色したうえ顕微鏡検査をしたものの、有害な細菌を発見できなかつたが、羊水の感染を虞れて再度のハーフメトロの挿入をしなかつた。また児頭骨盤の均衡を検査する為に児頭骨盤のX線撮影をした結果、被告は、児頭の骨盤通過が可能と判断した。同日午後零時ころの同女の体温は37.5度であつた。被告は、福岡市から約五五キロメートル離れた福岡県筑後市船小屋で催される碁会出席の為、近隣の産婦人科医瀬川裕(当時の開業場所は福岡市南区囲山三丁目一一番八号であつた。)に美代子に緊急の事態が発生した場合の診療を依頼し、同日午後三時ころ外出した。同日夕刻の同女の体温は37.2度であつた。右瀬川医師は、同日午後九時一〇分ころ被告医院に電話を掛けて同女の容態を看護婦に尋ね、特に異常がない旨の返答を受けるや、同月一三日の破水後かなり時間が経過していたことから、細菌感染の予防としてクロロマイセチン(抗生物質、クロラムフェニコール系)五〇〇ミリグラムの筋肉注射を看護婦に指示して処置をさせた。同日午後一一時ころ、同女は、かなり熱を出していた。

(四)  同月一六日朝、美代子の体温は37.7度であつた。被告医院の看護婦は、同日午前七時三〇分ころ美代子を内診したところ、子宮口が二横指開大(二横指開大とは、子宮口の開き具合を指の幅で表示したもので、五横指開大が全開大の状態とされている。)の状態になつていて、約一〇分毎の軽度の陣痛(開口期陣痛)が生じていた為、その症状を右瀬川医師に電話で報告し、同医師の指示に基づきクロロマイセチン二五〇ミリグラムの筋肉注射をしたが、その際、被告から外出前に指示を受けていたペストン五〇を五〇ミリグラムの静脈注射をし、新プロゲデポー一〇ミリグラムの筋肉注射をした。同日昼ころの同女の体温は38.2度となり、午後になつて約三分毎の陣痛が生じていた。被告は、同日午後三時三〇分ころ外出から帰院し、同日午後四時ころ同女を内診した。その結果子宮口が2.5横指開大していた。被告は、同女に、その頃、クロロマイセチン二五〇ミリグラムの筋肉注射をし、バラキシン錠二五〇ミリグラム(抗生物質、クロラムフエニコール系)四錠を二日分(合計八錠)投薬した。同日夕刻の同女の体温は37.7度であつた。同日午後九時三五分ころ被告が同女を内診すると、子宮口は三横指開大していたので、ベストン五〇を五〇ミリグラムの静脈注射をした。

(五)  同月一七日朝の同女の体温は37.4度であつた。同日午前七時四五分ころ、同女に、カネソドマイシン(抗生物質、カナマイシン系)二〇〇ミリグラムの筋肉注射をし、アドナAC一七を0.5パーセント二〇ミリリツトルとペストン五〇を一〇〇ミリグラムとを静脈混合注射をした。同日午前八時三〇分ころ同女が分娩室に入り、被告が同女を内診したところ、子宮口が四横指半開大していたので、分娩に伴う疼痛を緩和する目的で、会陰部子宮口周辺部にキシロカイン(局所麻酔剤)を二パーセント五ミリリットルの分散注射をし、またアドナAC一七を0.5パーセント一〇ミリリットルとベストン五〇を一〇〇ミリグラムとを静脈混合注射をした。同日午前九時四〇分ころ、子宮口が全開大したので、被告は、同女に対し、側会陰切開(時計の四時と八時の部位)を施し、吸引分娩に移つた。同日午前九時五五分、女児(原告早苗―体重二三〇〇グラム、頭囲29.5センチメートル、胸囲二八センチメートル、身長42.5センチメートル)を娩出し、続いて午前一〇時五分胎盤(重さ五〇〇グラム、縦一五センチメートル、横一一センチメートル、臍長三三センチメートル)を娩出した。被告は、続いて、同女に対し、ケタラール五〇(全身麻酔剤)を一〇〇ミリグラム二ミリリツトルの筋肉注射をし、会陰縫合を行つた。同日昼ころ、被告は、右女児が早産未熟児(早産児とは、在胎第二九週から第三八週に出産した児をいう。未熟児とは、国連世界保健機構によると、出生時体重が二五〇〇グラム以下の児をいう。)であつた為、原告健の同意を得て、日赤病院小児科未熟児センターに転医した。

3  出産後から死亡まで

美代子は、同日午前一一時ころ分娩室から病室に帰つたが、同日午前一一時一五分ころには悪寒を訴え、40.5度の高熱を発し、血圧一二〇〜六〇ミリメートルで、チアノーゼ症状が出た。被告は、同女に、ビタカンファー(強心剤)を皮下注射し、ブドウ糖液を二〇パーセント二〇ミリリットルとタチオン(生体酸化還元平衡剤)を二〇〇ミリグラムとビタミンBIとビタミンCとを静脈混合注射し、ブドウ糖液を五パーセント五〇〇ミリリツトルとベストン五〇を五〇ミリグラムとを混合して点滴静脈注射をした。同日正午過ぎころ、同女は、麻酔から覚醒し始めたが、軽度の意識障害、興奮状態が続いた為、被告は、同女に、フエノバール一〇パーセント(催眠鎮静剤)の筋肉注射をし、さらにビブラマイシン一カプセル(一〇〇ミリグラム)を経口投与したが、同女はそれを吐き出した。その後、同女は、眠りに就き、同日午後五時ころ覚睡したので、被告は、同女に、シグママイシン(複合抗生物質)六カプセル経口投与した。同女は少量の血液含有のコーヒー残渣様の嘔吐をし、心臓衰弱の傾向が出てきた。被告は、産褥熱又は膠原病の急性型を疑い、同女に点滴注射をしようとしたが、うまく針を刺せなかつたので、静脈注射針を使つてポンプ式にベストン五〇、タチオン、テラマイシン(抗生物質、テトラサイクリン系)、デカドロン(副腎皮質ホルモン剤)及びビタカンファーを次々に補液した。同日午後七時ころ、同女は、口渇を訴え、ジュース等の水分を数回摂取した。同日午後八時四五分ころ、同女は、中等量のコーヒー残渣様の嘔吐をし、その直後から脈膊減弱、顔面蒼白となつて全身症状が悪化したので、被告は、同女に、ビタカンファー及びデカドロンの皮下注射をした。同日午後九時ころ、被告が同女を日赤病院に転医すべく電話連絡をしていた時に、同女が洗面器一杯程度の多量の血液を含有したコーヒー残渣様の嘔吐をし、症状が極度に悪化した。被告は、同女の胸部心室内に直接にビタカンフアーを注射する等の手当をしたが、同女は、同日午後九時一〇分ころ被告の医院で死亡した。

被告は、美代子の死因を、直接には急性心臓衰弱であつて、その原因としては産褥熱兼膠原病であると診断した。

三美代子の死因

1  美代子の死因について、病理解剖がなされていないことは当事者間に争いがないので、この点からこれを明確に断定する資料はない。

2  〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  高年初産婦(通常三〇歳以上の初産婦をいうが、三五歳以上の初産婦と定義する説もある。)の分娩は通常時間が長びき易いとされているが、分娩が遷延することによつて、母体に細菌感染(産褥熱)、(産褥)敗血症及びそれによるシヨツク等の危険をもたらすといわれている。特に、分娩が二四時間以上長びいた場合は、産婦の疲労、睡眠不足、感染、食事の不摂取などの因子によつて、敗血症やシヨツクなどに陥り易くなる。

(二)  膀胱炎は、妊娠の影響によつて腿胱粘膜が充血しているために、膀胱粘膜に損傷を来し、これに尿道内の細菌が上昇感染して生じるものである。その原因菌は、グラム陰性桿菌(特に大腸菌がほとんどである。)が大多数を占めている。

(三)  前記破水をおこすと、細菌が腟、頸管、羊水の経路で上昇し、子宮内、殊に羊水に上行感染する危険が増大し、破水後二四時間すると、その羊水から細菌検出が可能であるとされている。細菌の種類としては、腟内、会陰、外陰部に存在するグラム陰性桿菌(大腸菌など。)が最も多く、次いで嫌気性菌となり、ブドウ球菌は非常に少ない。

(四)  羊水感染をおこすと、母体と胎児双方に悪影響を与え、母体には産褥熱など発症の危険がある。細菌感染の結果は、病原菌の菌力と個体の防衛力あるいは抵抗性との間の均衡の如何によつて、重くなつたり軽くなつたり、時には、症状を現わさなかつたりする。即ち、細菌は、種類により、また同一菌種の場合でもその菌株により、その菌力に強弱の差があるうえに、人それぞれ抵抗力に差異があるから、この双方の組み合せによつて、発症の状況も種々に異つてくる。しかしながら、産褥熱の発生に主な役割を演ずるのは菌力であり、通常、子宮内または血液中に病原大腸菌、好気性の溶血性連鎖球菌Ⅰ型、コアグラーゼ陽性ブドウ球菌、嫌気性のガス産生連鎖球菌のいずれかが見られれば、確実に重症型の感染といわれている。

(五)  羊水感染における細菌は、羊水内(広くは子宮内)で繁殖し、その物質代謝の結果、毒物を産出し、又は羊水中で自らが崩壊して毒物を生じ、これが母体に吸収され、戦慄を伴つて発熱(強張熱)する。弱菌力菌感染の場合は、原因になる細菌が血液中又は腹腔内に送られても、直ちに殺滅されるので、発症したとしても軽症であり、発熱があつても、全身状態が侵されず、脈膊が強く、整調であり、二、三日で熱が下降し始める。他方、強菌力菌感染の場合は、原因になる細菌が血管中に侵入して、その毒素により次のような敗血症をおこす場合がある。即ち、

(1) 身体下半分にある器管のリンパ液を運んで、頸静脈に入るところの胸管によつて、性器の間質又はリンパ道に拡がつていた菌が血液内に送りこまれる。血液内に入つた菌は、菌発育阻止作用によつて一部は除外され、又は食菌作用などによつて殺され、あるいは溶解され、一部は細網組織に捕えられてここで消化される。この血液の作用は、菌の侵入が続く限り何時までも続くものであるが、菌力が著しく強いか又は血液の抗菌作用が弱い場合、血液は逆に菌の栄養素と変わるので、菌は、この中に益益増殖して、敗血症を起す。

(2) 菌が開口した血管内に何らの抵抗をも受けることなく直接侵入すると、電撃敗血症が起る。この場合の患者の予後は不良で、急激に死亡する。

(六)  (産褥)敗血症の特徴的症状は次のとおりである。

(1) 通常、急激な熱上昇を見、熱型にほとんど稽留性である。悪感、戦慄を伴う場合もある。

(2) 発熱と同時に、重篤な印象を与え、一般状態が極めて悪く、不安で意識が濁る。即ち、舌は乾燥して亀裂を生じ、口唇に痂皮を生じ、時に毛細管出血を来し、呼吸は浅在性で鼻翼呼吸を示し、頬は発赤し、眼は輝き、不安状態で転転反側する。やがて意識は濁り、うわごとを発する。腎や肝も侵されて、下痢便になり、尿量は減少し、比重は増し、尿に高度の蛋白、赤血球、顆粒円柱を出す。悪心や嘔吐を伴う場合もみられる。

(3) 心臓及び血管系が細菌毒素に侵されると、心臓衰弱を来し、血圧は下降し、脈縛は著しく細小頻数で一三〇ないし一八〇に達する。またショック症状(敗血症性ショック)を来す。原因菌としては、グラム陰性桿菌(その内毒素のエンドトキシン)によるものが多いとされている。

(4) ショック症状は、頻脈、減尿、血圧低下、四肢蒼白で冷たく、チアノーゼを呈し、精神鈍麻が見られ、急激、急速な死亡を招くことが多い。細菌性ショック(細菌内毒素ショック)の死因は、ほとんど常に心臓衰弱である。

3 右2の各事実に、前記二で認定した美代子の死亡に至る経緯、鑑定人真木正博の鑑定の結果とをあわせ考えると、美代子の死因は、その症状、経過から見て、細菌性ショック死と認めるのが相当である。そして、右ショックは、前期破水に伴う羊水感染、分娩に伴う感染羊水の母体血中への流入、その結果としての敗(菌)血症により惹起されたものと推認することができる。

美代子がかつて、膠原病と診断されたことがあるのは、既に認定したとおりであるが、本件において、同病が同女の死亡に作用した形跡を窺うことはできないし、被告もまたこれを念頭において診療したとは認められないので、同女の死亡原因として膠原病を考慮するのは相当でないというべきである。

四被告の責任

1  書証・鑑定の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のような本件に関する臨床医学の水準と医療処置の事実が認められる。

(一)  前期破水をおこすと羊水感染の危険が生じるが、羊水感染をおこすと、胎児の子宮内感染及び感染による胎児の子宮内死亡、分娩後における新生児感染症発症の誘因、母体の子宮内膜炎あるいは子宮旁結合膜炎、産褥熱、敗血症などを発症する危険がある為、前期破水に対する処置には、胎児、母体、破水の状態などによつて、次の三つの処置方法が考えられる。

(1) 第一に、妊娠週数が三八週以降の正(満)期産に属するもの、あるいは予定日を超過しており、胎児がすでに十分に成熟していると考えられる場合で、しかも子宮頸の熟化が十分であるならば、多くの場合、破水後二四時間以内に自然に陣痛が発来するので、自然の経過にまかせる。もちろん、積極的に分娩を誘発させても悪いことはない。この際、抗生物質は必ずしも必要とはしない。

(2) 第二に、妊娠週数、胎児の状態が右の状態であるが、子宮頸の熟化が不十分で、自然陣痛が発来するまでにかなりの時間がかかると考えられるような場合は、頸管熟化作用があると考えられている薬物などで頸管の熟化を促し、あるいは用器的方法(ラミナリア挿入、又はメトロイリーゼ)などで頸管を開大させ、かつ子宮収縮剤などを用いて陣痛を発来させる。分娩終了までにはかなりの時間がかかると考えられるので抗生物質は使用すべきである。

(3) 第三に、妊娠が満期に至らず、かつ胎児の未熟性が予測され、子宮口の開大もなく、羊水の漏出もさほど大量でなければ、胎児の母体外生活が可能になるまで、入院安静のうえ、子宮収縮抑制剤を用い、陣痛の発来を妨ぎ、同時に抗生物質の使用などによつて感染を防止する。

(二)  前期破水を認めたにもかかわらず、胎児の未熟性による母体外生活の危険性を考慮し、胎児を母体内にできるだけ長く留めておきたいと考え、いくらかでも分娩を遅らせようとする第三の方法を選択した場合、次の点に留意する必要がある。

(1) 前期破水後三時間すると羊水中から細菌を検出することが可能であり、二四時間すると羊水のほぼ全例から細菌検出が可能である(但し、羊水中に細菌が陽性になつたものが、直ちに羊水感染をおこしたというわけではない。)。従つて、通常は、破水後二四時間経過すれば、予防的に抗生物質を投与すべきであるが、すでに第三の方法を選択したとすれば、陣痛の発来を抑制する目的に使用する子宮収縮抑制剤を使用する時点から抗生物質を使用すべきである。

(2) 妊産婦に対する薬物の使用は、胎盤を通過して、胎児に移行するものであるから、まず胎児に対してできるだけ副作用の少ないものが要求される。また産婦人科領域の感染症は大腸菌を始めとするグラム陰性桿菌あるいはこれとの混合感染が多いので、グラム陰性桿菌に効力のある広域抗菌スペクトラムを有する抗生物質を使用するのが妥当である。そこで、右目的により、通常使用されるのが、合成ペニシリン系やセフアロスポリン系の抗生物質である。使用量はその化学構造式の差や重症度に応じて異なるが、通常、合成ペニシリン系では一日量一〇〇〇から三〇〇〇ミリグラム、セフアロスポリン系では一日量一〇〇〇から五〇〇〇ミリグラムである。右処置で熱発が生じ、しかも解熱しない場合は、緑膿菌感染症などが考えられれば、ゲンタマイシンなどの使用も考え得る。

(3) 羊水が漏出して、子宮内羊水が減少してくると、胎児部分と産道(子宮壁)とが密着し、これが刺激となつて陣痛が発来してくる。そこで、コルポイリーゼ法により、用器(コルボイリンテル、ハーフメトロなど)を腟内(子宮内に入れた場合は陣痛促進となる。)に挿入して、羊水漏出を防止し、二次的には陣痛発来を防止するという処置もとり得る。

(4) 母体が発熱を起こした場合は、羊水感染が生じ、これによる子宮内膜炎などの発症を疑うべきで、母児双方に対する感染侵襲の危険性を考えると、胎児を子宮内に留めておくことを断念し、分娩を早く終了させる方法を選択するのが通例である。

2 以上の各事実に、前記二、三認定の美代子の死亡に至る経緯及び同女の死因をあわせて考えると、妊娠週数三六週を経過したところで前期破水が生じたような場合には羊水感染の危険があり、ひいては、感染によつて母児双方に感染侵襲の虞れがあるから、前期破水後の措置にあたる医師としては、胎児の母体外生活が可能になるまで胎児を母体内にできるだけ長く留めておく方法を選択した場合には、子宮収縮抑制剤を使用する時点から、羊水感染の予防の為に胎児に対して副作用が少なく、しかもグラム陰性桿菌に効力ある合成ペニシリン系やセフアロスポリン系などの抗生物質を相当量使用し、さらに、母体が発熱した場合には、単なる一過性の発熱である場合の他は、羊水感染を起因とする発症を疑い、右抗生物質を使用しながら、分娩を早く終了させる措置をとつて母児双方の安全を図るべき注意義務があるものというべきである。

これを本件についてみるに、前記二に認定の美代子の死亡に至る経緯によれば、被告には次のような前示注意義務を怠つた過失がある。即ち、

(一) 被告は、昭和四七年四月一三日午前中に美代子の出血を前期破水と診断して、胎児を母体内にできるだけ長く留めておく方法を選択したものであつて、この選択自体何ら非難されるべきものではない相当の処置であるとはいえ、そうしながら、子宮収縮抑制剤(新プロゲデポー七五ミリグラム、ゲスタノン)と止血剤(アドナAC一七、トランサミン)を使用したのみであつた。特に同年三月一八日ころに発症した同女の膀胱炎(その原因菌の大多数がグラム陰性桿菌であるとされている。)の症状が同年四月八日にも継続して見られたのであるから、グラム陰性桿菌による羊水感染の一層の危険があつたし、しかも、同月一三日午後二時ころ細菌感染の一誘因となり得るハーフメトロを腟内に挿入したにもかかわらず、羊水感染防止のための抗生剤の投与を破水後三四時間経過した同月一四日午後二時ころ発熱するまで全く行わなかつた。被告は、この段階において、羊水感染の危惧を抱いてしかるべきであり、もしその危険を感じとつていたならば、爾後の処置も、これに応じて、当然本件とは異つたものとなつたであろうと思われる。

(二) 被告は、同女が同月一四日午後二時ころ38.8度の発熱を起したので、同女に解熱剤(アミノバール)を皮下注射した他は、わずかにビブラマイシン(テトラサイクリン系)を一〇〇ミリグラム経口投与したにとどまり、同月一五日朝には体温が三七度に下熱したことや、同日午前一一時ころ単染色による悪露鏡検(成立に争いのない甲第一七号証の一ないし三によれば、グラム陰性桿菌はこの方法によつて検出するのが困難であると認められる。)をしたものの、有害な細菌を発見できなかつたことから、一過性の発熱であると判断したが、同日朝に子宮収縮抑制剤を投与しただけで、同日午後三時ころ被告が外出するまでの間他に抗生物質を何ら投与せず、また外出するに際しても抗生物質を投与する指示を看護婦に与えなかつた。このことは、被告が同女の発熱状態について的確な診断を欠いていたものというほかない。

もとより、被告本人尋問の結果によつて認められるとおり、培養検査による結果判明までには四、五日を要するので、この方法による細菌検出を待つのでは間に合わないが、これだけが診断の資料ではなく、症状の推移を観察するなど、総合的に考慮するならば、同女の容態から判別し得たと考えられるので、これだけで右判断を左右することはできない。

(三) 被告は、同月一五日午後三時ころ筑後市船小屋で一泊するために外出したが、本件のように、三六週を経過した妊産婦が前期破水後三日目に入つており、しかも二日目に高熱を出し、陣痛の発来が間近であると窺われ、且つ、被告の医院には医師が被告のみである(被告本人尋問の結果によつて認められる。)状況の下では、医師として、他の産婦人科医師に対し、患者の症状の経過、これに対する被告の処置内容、現在の症状、将来の見通し等を詳細に説明し、帰院までの間における同患者の診療を依頼するか、あるいは他の産婦人科医に転医するかして外出する注意義務があるというべきである。

しかるに、〈証拠〉によれば、被告は、前記外出前に、近隣の産婦人科医瀬川裕に対し不在中の処置を依頼するにあたり、美代子が三六週を経過した妊産婦で且つ前期破水により同月一三日から入院しているので、留守中に急に出産する事態になつたら分娩に立合つてくれるように説明依頼した程度であることが認められるにとどまり、それ以上に右瀬川医師に対し同女の発熱や症状の経過及びその処置内容等を具体的に説明せず、しかも留守中における責任ある診療を依頼しなかつたことが認められる。右認定事実によれば、被告が外出したことをもつて直ちに患者を放置したということはできないけれども、他医への委嘱がさして異常のない産婦又は急を要する事態が通常予想されない産婦に対するものとしてはともかく、前示症状を呈していた美代子に対する診療を託したとするには、その依頼の内容は、いささか十分でないといわなければならない。

(四) 同月一五日午後一一時ころの美代子はかなりの熱を出し、同月一六日の同女の体温は37.7度であつたのであるから、この段階に至つては、同女の発熱を単なる一過性のものとはいえず、もはや羊水感染による発症と疑つてしかるべきであつた。しかも、同日午前七時三〇分ころには子宮口が二横指開大し、約一〇分毎の軽度の陣痛が生じていたのであるから、胎児を子宮内に留めておくことを断念し、むしろ分娩を極力早期に終了させる処置に転ずるべきであつたと考えられる。にもかかわらず、被告は、外出中で美代子の病床におらず、この期に至つても看護婦をしてこれまでどおり子宮収縮抑制剤を投与させて分娩の遷延をはかり、何ら分娩促進の措置をとらなかつたことは、症状の変化を早急に知り得ず、その為、症状の変化に即応した処置に欠けたといわざるを得ない。

3 そして、美代子の死因が細菌性ショック死であることはすでに前記三で認定したとおりであり、前記二の認定によれば、右ショックは何の前兆もなしに突然起つたものではなく、膀胱炎の症状の継続そして前期破水、破水から二日目の高発熱、三日目朝に一旦解熱したものの同夜に再び発熱、四日目朝の発熱並びに陣痛及び子宮口開大の開始という母児双方のグラム陰性桿菌等の羊水感染を起因とする敗血症の発症を疑わせる徴候が顕著に存在したのであるから、被告が前記注意義務を尽くして、母体の感染侵襲を阻止すべくすみやかに適切な処置を構じたうえ、破水後五日目の自然分娩までいたずらに遷延させていなければ、美代子の一命を取り止めるに妨げなかつたものというべく、従つて、被告には前記のような過失があり、これと美代子の死亡との間には相当因果関係があるものというべきである。

もつとも、以上の処置を尽したからといつて、確実に美代子の死亡を防ぎ得たとまで断定することはできないかもしれないが、右処置を尽しておれば、防ぎ得たであろうとかなり高い蓋然性をもつて考えられる以上、尽すべき処置をなさずしてその処置の効薄きことを主張することはできない。このことは、耐性菌による感染の主張についても、同様である。

4 以上の認定判断からすれば、被告は、民法七〇九条による責任があるというべく、美代子の死亡に基づく損害を賠償する義務がある。

五損害〈省略〉

(富田郁郎 小長光馨一 高橋隆)

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